【新山みりょくびと】 木山 健さん
こんにちは、やっさんです。
一昨日の思いつきで始動した『新山ひと図鑑』ですが、早速第一号の掲載です!
記念すべき第一回目の新山人はこの方!
木山健(きやま けん)さん
プロフィール
昭和16年1月生まれの75歳。
戦時中に韓国で生まれ、終戦後に帰国し新山で過ごすこと70年以上。
地域の方々からは世代を問わずに「ケンさん」と呼ばれており、その存在は新山はおろか笠岡でも名が知られているほどの有名人。幼少期からリーダー気質の強い性格だったようですが、変わらず現在も新山を引っ張るリーダーとして日々地域活性活動に奮闘する日々を送っています。
ケンさんってどんな人?
ケンさん曰く「妥協ができず、嘘が嫌いで、一度決めたらやり通す頑固者」。
そこに加えて人情味が強くユーモア溢れるケンさんだからこそ、地域の皆さんの信頼を得ながら様々な地域活動が展開できたのではないでしょうか。
小さいころに地域にこんなおじいちゃんがいたらもっと地域のことが好きになっていたハズ… そう思わせてくれる存在です。
どんな仕事をしていたの?
高校卒業後は当時の岡山県下有数の私鉄の一つであった旧井笠鉄道の社員として勤務し、駅員や車掌などの仕事を行っていました。レールのポイントをずらしてしまい車両をひっくり返すなどやんちゃな一面もあったようです(笑)しかし、仕事の脂も乗ってきた45歳の時に突然鉄道員を退職。その後はなんと笠岡の中心部でお好み焼き屋を開業しました。「自分のことは自分で何とかせにゃあならん」と一念発起し、60過ぎ頃まで店主として切り盛りをしていたとのこと。ケンさんが飲食店、ましてやお好み焼き屋を営んでいたなんて...近くで聞いていた地域のママさん方もかなり驚いていた様子でした(笑)この思い切りの良さが人を引き寄せる秘訣なのでしょうか。ちなみにお店の名前は「きかんぼう」で“言うことを聞かん”という洒落が込められたなんともお茶目なネーミングセンス。ケンさんらしさが溢れる愛されるお店だったのでしょう。
地域活動をはじめたキッカケは?
「地域のことは地域に住んでいる住民がやる」という住民自治の考えが新山に住む中で自然と芽生えてきたとのこと。本格的な活動をし始めたのは35歳のころにケンさんが立ち上げた「新栄会」という組織での活動がはじまりで、地域のお祭りやイベントなどの催し事がある時の運営やお手伝いなどを通して地域活動を行っていました。実はこの新栄会、当時と活動内容は少し異なりますが、現在も新山の荒れた休耕田等の草刈り団体として地域で大活躍中の団体名なのです。20~40歳代中心の元気な若手メンバーが中心となって活動しており、ケンさんが立ち上げた際の思いが脈々と受け継がれているなあと感じました。
平成24年には笠岡市まちづくり協議会内の新山地区の団体として「新山地区自治会」が発足されました。団体の名前こそ変わりはしましたが、ケンさんが若かりし頃に立ち上げた新栄会という組織に流れるDNAやそこに関わる人間関係は新組織に引き継がれ、新たな新山の自治組織がつくられたというわけです。笠岡市にある数あるまちづくり団体の中でも、ここ新山地区自治会が注目されていることにも納得です。
新山のここが好き!
ケンさんに「新山のどこが一番好き?」と聞くと、「わしゃあ新山の好きなところはねえ」と返され、ワタクシ一瞬固まりました(笑)が、続いて出た言葉がとても印象的で、「好きなところというよりも、恩返しの気持ちで動いとるんじゃ」とのこと。詳しく聞いていくうちに、「恩返し」というのは、ケンさん自身を育ててくれた新山への恩返しであり、終戦後にいわゆる外国からの引揚者として新山に帰ってきたケンさんを温かく見守り、時には厳しく育ててくれた家族や家族同然のように可愛がってくれた新山の地域の方々に対しての恩返しの気持ちが活動する上での何よりの原動力ということでした。「生まれ育った地域が好きだから動く」というよりは「新山という土地とそこに暮らす人に自分は育てられた」という原体験が、ケンさんを地域活動へと自然と向かわせていったような、そんな印象を受けました。
余談ではありますが、上記のケンさんの考え方は地域おこしなどの地域活性活動をしていく上では非常に重要な考え方であるかと感じます。課題があるから地域活動をするというのが地域活性活動の一般的な流れでありその考えはもっともではありますが、自然発生的な流れとしては、地域への愛着や帰属意識、地域住民との関わりの中で感じたことなどが、成人しても地域の思い出や情景として色濃く残ることで、結果として「地域をもっとよくしたい」という思いに変わり行動に移されること、そんな経験を産まれたときから地域ぐるみで自然と経験させるような動きこそ本来的な意味での地域活性化なのかなあと。地場産品のブランド化や移住定住促進等はあくまで手段であることを常々心に留めておかないといけないなあと思いました。(自分の考えが長くなりすぎてスミマセン)
今後の野望
そんなケンさんに「今後のやりたいことはある?」と聞くと、ニヤッと笑い「そりゃあ数えきれんほどたくさんあるけど実現できるかどうかわからんけえ言えん」と。それでも懇願したところ二つだけ教えてくれたのです。
◇ケンさんの野望その壱「新山でホースセラピーを行う」
島根県浜田市に地域づくりの視察で訪れた際に、ホースセラピーという方法で馬と人との交流を行う現場を見たことがきっかけで、いずれは新山でも実現したいとかねがね考えていたそうです。すでに馬を飼えるだけの土地は確保できているそうですが、肝心の馬を扱える人がなかなか見つからないそうです。「おめえ馬を飼わんか?」と聞かれましたが残念ながら私に馬を飼えるだけの能力は持ち合わせていません(笑)
◇ケンさんの野望その弐「新山の池でサメを飼う」
言葉の通り、池でサメ飼いたいとのことですが、何それ?!そんなことが出来るの?!と疑問に思いましたが、これは実際に新見市で行われており、養殖池で育てたチョウザメからとれるキャビアを商品化して販売している立派なビジネスだったのです。そのアイデアに共感したようで、新山でも出来たらな~と考え中のケンさん。しかしまあ、馬にサメに…生き物に対する関心の強さがうかがえます。
おわりに
心に沁み込むほどの地域での思い出が残りにくい生活環境になってしまった日本にあって、「昔懐かしい新山」を少しでも多くの人に感じてもらうために色んな活動に取り組んでいるケンさん。なかなか珍しい存在なのかもしれませんが、そんな存在の人ってきっと日本の田舎にはたくさんいるんだと思います。ただ気づかないだけなんです。であれば、私を含めて若い世代が、これまで地域を引っ張ってきた方々とどれだけ交流する機会を持てるか、そこからどれだけ学びを得て行動に移せるかによって、私たちの暮らす地域の未来は少しでも良い方向に変わっていくのではないでしょうか。
そんなことを感じたインタビューとなりました!
ケンさん、ありがとうございました。
次回の新山人Vol.2は
「お米作りにカークリーニング業にセルフビルドで家まで建てちゃう、何でもできる凄腕新山人、田原一弥さん」です。
お楽しみに!
(ケンさんのいつもの定位置)
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